2006.07.04 Tuesday

旅行記7日目:St Peter Port巡りと島の西南端の遺跡へ

St Peter Portにあるお城と博物館を見て回ることにした。いずれも10時開館なので、その前にちょっとした用事を済ませようとツーリスト・インフォメーションへ行った。この後のJersey島へのフェリーの時刻を調べるためである。Pooleで手に入れたCondor Ferry船のパンフにはGuernsey島-Jersey島の時刻表がなかったのである。おおよその時刻は見当が付いたもののはっきりしていなかった。しかし、ツーリスト・インフォメーションでも分からなかった。
そんな…と思いつつ、フェリー会社に聞けと言われ、ついでに予約もしたかったので港の端にあるオフィスまで行くことにした。予約オフィスがこれまた分かりにくかったが、ロビーにいたおじさん(船会社の関係者)が入口まで連れて行ってくれた。中に入るとちゃんとGuernsey島発着の時刻表が置いてあった。この船会社は閉鎖的なのかと思ってしまう。時刻表もネットにはなかったので、どの日に移動すればいいか計画も立てられなかったのである。おまけに予約システムは当日でなく翌日の日付を入れないと出てこないというテクニックが必要だった。
時刻表に丸をして、カウンターに持っていった。最初は4泊で、翌日に移動しようと思ったのだが、Guernsey島で他にも行きたい所が出てきたので2日延ばして6泊にし、3日後の予約を取った。2日後にしなかったのは移動が夜になって、到着後の宿が取りにくいからである。この後、一旦宿に戻って、もう2泊を頼んだ。空いていた。

Guernsey博物館この用事が済んだ頃、丁度10時を過ぎた。そして先ず、高台にあるGuernsey博物館へ向かった。展示はFrederick Corbin Lukisという人の関連が多かった。この人は島の遺跡を発掘調査した人で、2日前に見たドルメンは彼の業績の跡だった。何だか身近に感じてしまった。他に島の歴史なども展示してあった。また、Franceの詩人Victor Hugoがかなりに渡って滞在したので、関連の展示物も少しあったが、Victor Hugo館というのが別にあるので、興味がある人はそちらに行った方が色々見ることが出来るようだ。入った時、子供達への説明会が行われていたが、大人も聞けるようだった。私はついていけないので、そのまま勝手に見学していた。
博物館の下にはちょっとした公園があり、そこからの眺めは良いとあった。しかし、眺めは一方向だけなので期待しない方がよい。前日訪れたHerm島が見えていたが、もやで霞んでいた。

次に少し坂を下った所にGuernsey Tapestryという展示館(複合館の一部)がある。ちょっと変わっているようなので行ってみた。10枚の大きなタペストリーにGuernsey島の先史時代からの歴史を織り込んでいる物。これをオーディオ・ガイドを聞きながら見ていく(数カ国語あったが、私は英語。日本語がある訳ない)。たった一部屋だが、充実していた。中央にはソファがあるので、座って説明を聞きながら見ることが出来るので足が疲れない。売店にはタペストリーの作り方を展示してあった(触るのもOK)。お土産にタペストリー・キットもあったが、大変なので買わなかった。

Castle Cornetそして、港にあるCornet城に向かった。ゆっくり見たら2時間かかると思ったが、急いで見て回り1時間半くらいで済ませた。その後に行きたくなった所があったのだ。13世紀末に最初に建てられ、その後増築が繰り返された。そして20世には島の歴史にあちこち残っている遺跡と同様、第2次大戦中ドイツ軍がこの城にも砲台を築いた。この中に海洋博物館もあったが、さっと覗いただけだった。Scotlandでさんざんこの手の展示館を見てきたので、特に目を引くような物がなかったからである。

その後街へ戻り、銀行へ行き、バス・スタンスへ。Pleinmontという南西の端にちょっとした遺跡が3つあるのを見に行くためである。説明文で最初は無視していたが、写真を見て何となく行きたくなったのである。バスは満員の状態で出発したが、空港辺りになると空席が目立つようになった。そして、降ろしてくれるように頼んだ所で止まってくれた。Fort Pezeries目指す遺跡まで海岸の道を進めばいいと思ったが、以降は(準)私有地で、その先は許可なしに車は通行できないと。歩きは良いはずだが、確信が持てない。そこで、近くの売店で確認すると、やはり歩きはOK。元気に歩き出し、最初の遺跡に到着した。

Fort Pezeriesという岬の上に建つ砦(廃墟)である。ナポレオン調と言うことだった。1680年に建てられ、やはり第2次大戦中もドイツ軍が使っていた。形が上から見ると星形をしているのが面白い。現在は中に弾薬庫となった小屋と外の壁だけが残っている状態である。

Fairy Ring次に、ここへ来たいと思わせたLa Table des Pionsという遺跡である。説明文によると地元では"Fairy Ring"と呼ばれているとのことだった。ガイドブックの写真を見て気になったのだ。ストーン・サークルの中に堀があって真ん中に嘗ては何かあったような感じだった。バイキング時代から19世紀まで偵察と海上からの防衛の間の休憩所として使われていたそうだ。そして先の砦からすぐの所に見つかった。小さかった。他に何もなかったが、取り敢えず気は済んだ。

Batterie Generaloberst Dollmannもう1つ先に遺跡があるらしい、ということで、更に先に進んだ。崖の上のパスの矢印に従って進めばいいものを、海側にあったパスに入った。このパスが、先の方で蕨、棘、アザミが生い茂る狭い所を通ることになった。そこを何とかして抜けたら、駐車場だった。横を見ると、通りやすい立派なパスがあった。その後はちゃんとしたパスで、崖の上を海を眺めながら歩いた。しかし、目的の遺跡がなかなか見つからない。一時は気が付かずに通り過ぎたかと思ったが、また駐車場に出た時に説明板と小さな家の土台が見えた。説明板を見ると、目的の遺跡でなかった。その先に砲台跡が見えたのでそこまで行って諦めようと思ったら、その間に目的の遺跡があった。その遺跡とは大砲である。現在、砲台には大砲は残されていないが、ここは敢えて残してある。砲台でなく、堀の中に据えられた砲身が長いものである。地下壕の説明もあった。危険なので入らないように柵があった。

3つ目を見つけた所で先に進むか引き返すか考えたが、その先にバス停があるか不明だったので引き返した。例の蕨・棘・薊のパスは勿論避けた。広いパスをゆくと、分かれ道がいくつかあった。適当に曲がっていたら、最初の2つの遺跡を通らずに、近道になった。そのパスは、犬と散歩をしている人が多く、犬犬同士トラブルを起こしていた(どうなったかは不明)。バス停に着いた時、次のバスの時間を確かめようとしたら、すぐにバスバスが来た。結構、効率よく回ったつもりである。

お天気は曇りのち晴れ、夕方に慌てて日焼け止めを塗った。
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