2009.01.17 Saturday
阪神・淡路大震災記念14年目
今日で阪神・淡路大震災から14年。去年は平日で仕事のため行くことが出来なかったが、今年は土曜日だったのでまた西宮震災記念碑公園まで出かけてきた。 今年もお昼から出かけてしまった。メモリアル・ウォークに参加してみたいとは思っていたが、申し込みの締め切り日に気づいたので諦めた。しかも昨日は仕事で遅くなり帰宅したのが12時半くらいだったので、それどころではなくなってしまったと思う。でも、午後には出かけることが出来た。坂を下りまた登るというルートだが2年前に少しは楽なコースを見つけた。今年は更に電動チャリなので楽になると思いきや、バッテリーが少なくなっていた。下りでは充電してくれるので、何とかしのいだが、バッテリーをセーブするため、少々の坂道は自力で上っていた。アシストがなかったら重いチャリである。また、2年前にはちょっと遠回りになったので、今回は記念講演の北側にある墓地の中を抜けた。ふとどきかも知れないが、車も通ることが出来る様な広い道なので、文句は言われない。お墓のあちこちには新しい花が添えてあったので、震災で亡くなった方がいらっしゃったのかも知れない。着いたのが遅かったので、用意してあった献花はなくなっていた。こちらは今年も寄付でまかなっていた様だ。側の墓地のために近くに花屋があった様だが、そこでも買っていかなかった。今回は記帳のみ。それでも行ってみるとなんだかホッとした。帰ろうと思った頃に、新聞社が来て、どこかのえらいさんがお参りしている写真をバチバチ撮っていた。その脇にいたら、”どこかでお会いした様だけど”と老婦人が声をかけてきた。記憶違いだったが、暫くお話をした。震災の時もそうだったが、知らない人でも話をすると何となく落ち着く。その方も全壊だったが、庭に出していたものが泥棒にあったとか。更に、置く所がないからと、友達に古いお皿をもらってくれる様に言ったら、知らない人を連れてきて挨拶もなしにきれいに持ち去っていたとか。ひどいヤツもいる。人間不信にもなるが、また温かい人もいたので、お互い何とかここまでやってきた。
記念碑の回りには当時の状況写真共に犠牲者への誓いの言葉と被害状況を記した説明文がある。記念碑には亡くなった方々の名前が彫られているが、最後の辺りは記念碑が出来た後で亡くなられた方の様だ。大部分は五十音順なのに最後の数人がその順番でない。14年経とうが、決して消え去ることのない傷である。
| taigh's owner | ニュース | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |