2012.10.26 Friday
新旧の西海橋へ
(長崎の)西彼杵半島と針尾島にかかる西海橋がもう一つ出来ていた。新しいのは有料道路の一部で、下には歩行者用の通路があり、下の海も覗くことが出来る様になっていた。お初なので、訪れてみた。 実家へ顔見せ(の積もり)に帰省した。今回初めて神戸空港−長崎空港のフライト(Skymark)を使った。長崎空港に到着後、通路を歩いていると”第二西海橋”の大きなパネルを見つけた。こんな橋、いつの間に出来た?と思いながら、母と話していたら、その勢いで行ってみることに。歩行者用通路に入る前に、展望台から回りの景色を眺めた。階段が200段程あるらしいが、山の中腹に住んでいる私には少し息が切れる程度だった。連れて行ってくれた兄は数回訪れているらしく、展望台から新旧の橋の眺めのベスト・スポットを教えてくれた。
左側が新(第二)西海橋、右が(旧)西海橋。海は針尾瀬戸。この時は満月前だったが、満潮と干潮のちょうど真ん中で、潮の流れがなかった。潮が流れていると、渦が出来る(結構名物)。
2006年に完成、橋の長さは300m、歩行者用通路までの高さは40m。形は中路式アーチというユニークな形をしている。正式名称は新西海橋となっているようだが、地元では第二西海橋とも呼んでいるとか。有料道路の西海パールラインの一部で、佐世保−長崎間が少しだけ早くなったかもしれない。ハウステンボスからバイオパーク(動物園、カバのモモちゃんで有名)の移動に便利な様に作られたみたいだが…
西海橋と言えばこちらの方で、新しいのが出来たので区別するために”(旧)”とつけている。勿論、現在も通行可能な現役の橋である。こちらもアーチ式で、長さも300m橋で高さも40mくらい。1955年に完成して、当初は通行は有料だったが、1970年に無料となった。こちらは道路と同じ所を歩くことが出るが、歩道はなく狭いので注意しよう橋の両脇両端に展望所が設けられていて、橋の上から回りの眺めを楽しむことが出来る。
この周辺はその他に三本の柱が立っている送信所もランドマークになっている。実家から空気が澄んでいれば、この三本柱が見えていた。これは旧海軍によって1922年に建設されたもの。ここから太平洋戦争の口火を切った極秘電「ニイタカヤマノボレ−二〇八」が送信されたと言われている。取り壊すと影響が大きいためか、そのままの状態で残っていて、現在も海上保安庁の管理下に於かれている。
展望台から降りた後に今回の大きな目的である、歩行者用の通路を歩いた。通路は車道の下にくっつけられているみたいだ。車の通行の振動は全くしない。通行は無料だが、夜間は通行不可である(夏季と冬季では異なる)。また、バイクは通行不可、チャリは押して通行可能である。中央部には休憩所を兼ねて、ちょっとした場所が設けられている。そして、下の海を見下ろすために丸窓(4ヶ所)が作られている。訪れた時は潮の流れがなかったので、下を見ても距離感が全くわからなく、”何?”と思ったくらい海が静かすぎた。やっと、船(レジャーボート?)が通過したので、その白波が端っこに見えた。渦潮が見られる時をパネルに貼ってあった。
通路は双方に通行可能で、そのまま前進して、ちょっとした公園を両方の橋を見ながら歩き、(旧)西海橋を(徒歩で)渡って元の場所(お土産店がある)に戻った。兄はいつもは(旧)西海橋を渡った後に第二西海橋を渡り、その後に展望台に登るとか。確かに効率はこちらの方が良さそうだ。母と私が最初に通路に向かったために逆になったとか。それなら最初に言ってくれれば…歩数は5000ちょっとだったので、合計2kmくらいのウォークだったようだ。
| taigh's owner | 旅行 | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |