2006.07.19 Wednesday

帰国しました

今日、午後12時30分頃、無事に家に着きました。ホッとしています。

今年のヨーロッパは異常に暑いようで、最後に過ごしたLondonは30℃を超えていた。今日水曜日がピークになるという予報(37℃の予報が直前に35℃になっていた)。死人が出るかも知れない…関西は大雨の影響で気温が低くなったのか、過ごしやすく感じている。

これから追って旅行の日付に合わせて、どんな所を彷徨いてきたのかご報告致します。

2006.07.18 Tuesday

旅行記21日目:帰国の途について…

朝6:50に宿を出て、Paddington駅に向かった。7:10発のHeathrow Expressに乗るためである。朝食はパス。勿体ないが、惜しいとは思わない朝食だった。

Terminal 1,2,& 3に無事に着いた。出発はTerminal 4である。所要時間は8分余計にかかるとあった。合計23分かかるので、チェック・インが始まる7:55までに行っておきたかった。8分…そんなにかかるのかと思っていたら、止まっている時間が長い。しかし、ちょっと長すぎる…と思っていたら、他の乗客がイソイソし始めた。外の係に聞いているが、よく分からない。その内車内放送が。先頭車両に問題があるらしい。暫く座って待て、と。かなり待った後やっと動き出した。Heathrow Expressって、交通渋滞に影響されないのが売り物だが、自分で起こすトラブルは想定外らしい。

幸い余裕を見ていたので、出発ロビーに着いた時は7:53だった。チェック・インは8:00からと表示が出ていた。少し前だが並んでおくか…と最後尾に並んだ途端、チェック・インが始まった。8:00過ぎた頃には、列が3倍くらいになっていた。座席の希望は聞かれなかったが、幸い中央の通路側になっていた。

Amsterdamへは少し遅れたが、問題なく着いた。乗り継ぎ時間が3時間あるので、少々の遅れでも問題はなかった。帰りにはいつもここで実家用にビスケットと自分用にチーズを買う。オランダのチーズは美味しいのである。そして、ここも暑い。

そして関空到着。到着前に気温を聞いてびっくり。朝だが23度、と。涼しい! 日本のお天気を全然知らなかったのである。
西宮へのバスは(朝)8時を過ぎると1時間に1本になる。しかも、何故か待ち時間が長くなる。そんな中、30分遅れると聞いた。出発は時刻表通りだが、途中で時間がかかる見込みだと。高速が昨夜から明け方にかけての大雨で冠水し、工事のため一般道に降りるためとか。最後の最後にこんな目に遭ってしまった。バスは20分遅れて着いた。

これで今回の旅行記は終了。郵送した資料を基に、WimbledonやLondonでの買い物はないけど、本編のHPにもアップする予定なので、お楽しみに。

2006.07.17 Monday

旅行記20日目:Lonodonで

久々のLondonなので、ちょっと余計に泊まって、レコード店でも見て回ろうと思った。

Oxford街に並んでいるので人混みの中を歩いた。Bond Street駅の近くにHMVの本店があったが、通りの向かいに移転していた。入って数枚買った。殆どがFolk関係。6月に来日コンサートを見たFiddlers' Bidの所で見覚えのない2枚があったので買った。全部で4枚出ていることを知っていたので残りの2枚と思った。宿に戻って開けてみると、1枚、覚えのないものがあった。Fiddlers' Bidは1枚だけ。間違って入っていたものを気付かずに買ってきたらしい。しっかりしろ、HMV! 返すには遅すぎたので、これも縁だと思ってそのままにした。フィドルとギターのデュオ。レーベルがトラッド関係なので、そんなに音が違う訳ではないと思われる。

HMVはOxford Circus駅を過ぎた所にもある。以前はこちらの方が充実していたが、今回はどちらも余り変わらない。少しこちらの方が種類が多いような気がする。その先Tottehnam Court Road駅の近くにVirgin Megastoreがある。ここでも少し買った。レコード店回りは以上で終了。

そしてOxford Circus駅に戻って、今度はRegent Streetに入った。Piccadilly Circus駅近くのBritish Travel Centreに行くためだ。以前は販売物が充実していたように思えたが。ちらっと覗いて出た。その先にScotland Tourist Boardがあるが、このセンターの地図(有料)を見たら無い。私が持っているのが古いので確かめたのだが…取り敢えず向かった。以前行ったことがあるがうろ覚え。Charing Cross駅の方向に向かうとやっぱりあった。なくなってはいなかった。

Scotland Tourist Boardでは資料を頂いた。ついでに販売物を見ると、ハギスとマーマレードがあった。私が持っていた小旗が欲しいと言っていた人がいたのを思い出して一緒に買ってきた。本当は来年のカレンダーが欲しかったのに。聞いたけどなかった。ネットで買えることだし…後で小さいのをお土産店で見つけたので買ってきた。ところで、このセンター、エアコンが効きすぎて寒かった。あまりの暑さに、Scotlandを偲んで、がんがん冷やしていたのか。

その後、スーパーのTESCOがOxford街にあったので、紅茶と詰め替え用の香辛料を買おうと思った。しかし、先程歩いた時には見なかった。結局見つからなかった。工事中のビルがあったのでそこだったのか?数年も行かないとこんなことになる。Bond Street駅の近くにWasely Owensというお店がある。以前はScriputer Unionと言っていた店である。クリスチャン関係のお店でレコード(勿論その関係)も販売している。入ってみたが、最近は聞いていないので、知っているミュージシャンがなかった。

そして近くの公園で休憩した。その時、Scottish Tourist Boardでもらった袋を見ていたら大英博物館の側にScotlandグッズを売っているお店(年中無休)があると。遠くないので行ってみた。しかし、結局キルト関係ばかりのようだった。戻る時に大英博物館前でまたアイスクリームを食べた。これで何日連続だろう? とにかく暑い。

宿でテレビを見ていたら、この暑さが問題になっていた。ピークは水曜日で37度になると。”うわっ、そんなの日本でも2回ぐらいしか体験したことがない”と思ったが、その日には日本へ帰っていると、ホッとした。でも、日本も暑い。それに湿気も加わるから余計に過ごしにくい。でも、まだ日本ではエアコンに逃げ込める。(帰国するまで日本のお天気を知らなかった。まさかまだ梅雨が明けていないなんて、思いもしなかった。)

繁華街を往復して疲れた。Jersey島やDartmoorではそれ以上に歩いたはずなのに。人混みと舗装道路のためであるらしい。他へ行く時間もないので、歩いて宿に戻った。ついでに近くのスーパー2軒で紅茶と香辛料、そして夕食を買った。これで、今回も終了。後は飛行機に乗るだけ。

お天気は晴れ晴れ、気温は33度くらいはあったらしい。

2006.07.16 Sunday

旅行記19日目:Londonへ

朝10時発のバスに乗った。タクシーでバス停に着いた時には既に列が出来ていた。そして、私の後にもどんどん人が来て行列が長くなっていた。日曜日のためか、London行きのためなのか、その両方か。日差しがきついが、右側の方が酔いにくいので窓側に座った。隣に来る人はいなかったが、後ろに子供連れが座り、その子供がシートを蹴るからゆっくり出来ない。睨みはきかしたが。カーテンを閉めていたら、前の人が私の所の分を引いて開いてしまった。ムッとしてこちらに引いたら、状況が分かったらしく謝ってくれ、席の前の方のカーテンを引いていた。知らなかったのだからあんなにムッとすることもなかった。

バスは6時間。途中Tauntonで30分くらいの休憩を取る。気分転換に外に出て木陰で休んだ。その後、後ろの子供は寝たらしく大人しくなっていた。そこで私も眠って過ごすことが出来た。しかし、Londonに入った途端また蹴り出した。疲れた〜。

宿までタクシーで行こうとしたが、コーチ・ステーション脇で30分以上待っても来ない。地下鉄に乗ろうとVictoria駅まで行った。そこにもタクシー乗り場がある。よく見ると行列は長いが、タクシーが来ている。ここでもう一度並んだら暫くして乗ることが出来た。
ロンドンの扇風機到着時に泊まった宿を予約していたが、何ももらっていなかった。受付の人間が違うので、予約した時の状況を説明した。名前は確かに書いてあったので、部屋自体は確保できていた。一筆書いてもらっていたら良かった。
部屋は5階。狭い階段をトランク(軽くしておいて良かった)を持って上がると、部屋の中で音がする。開けると扇風機が回っていた。ここ数日の暑さで置いてくれたらしい。扇風機は映画の撮影で使われるような大きいヤツ。風量の調整は出来るが、一番小さいのでもすごい風。音も大きい。寝る時は消していた。冷蔵庫もある宿なので冷たいものを残しておけると、ドアを開けてみたら部屋より暑い。電源が抜かれているのである。その上の扇風機に電源を奪われていた。(写真は回している時に撮ったものだが、瞬間の光景なので止まっているように見えている。)

夕方(と言ってもまだ日差しはきつい)、近くのHyde Parkを歩いてみた。草が枯れている。ここ数日の暑さと雨が降らなかったためらしい。池の近くまで行くと大勢の人出。暫く歩き回って、木陰で休んだ。ここって、本当にイギリスか…と思いつつ過ごしたLondonであった。

お天気は晴れ晴れ

2006.07.15 Saturday

旅行記18日目:Dartmoor、Walkhampton Commonへ

今日は全く予定を立てていなかった。Plymouthなら何とかなるので行ってから決めようとした。町中をブラブラするか近場の名所に出かけるか…昨日頂いたバスの時刻表を見るとPlymouthからExeterまでPrincetownを経由するバスがある。検索した時は見つからなかったルートである。それならPlymouthから直接Dartmoorに入ることが出来る。そして今日もDartmoorに行くことに。町中をやめた理由はもう1つ。スポーツ・リリーフのチャリティ・イベントの市民マラソンジョギングがこのPlymouthで行われ、あちこちが通行止めになっていたからである。近くのエデン・プロジェクトのドームも会場だったらしい。ここには興味があったのだが…

朝、郵便局へ行って集めた資料を郵送(船便)した。これで約4kgは軽くなった。そして明日のバスの予約をし、10:30のバスバスに乗った。降ろして欲しい所を言ったが、出来ないと。それならPrincetownまでと。バスは2階建て。そんなに広くない道をこのバスを使う意味があるのかと思った。小さいバスなら止まってくれるはずである。乗客も多い訳ではない。

Black TorPrincetownで降りて、ビジター・センターにも寄らずにすぐに目的地へ向かった。帰りのバスを心配してだったが、思いの外近かった。寄れば良かった…。目的はまたも2列のストーン・ロウ。バス道を来た方向に向かったところで、目印になるTorに続く道に入った。その先は谷なのでこのTorからよく眺めることが出来る。近くに2つあるはずだが…1つはすぐに見つかった。川向こうである。もう1つは川の側にあるはずだが、茂みで見えないようだ。Torの風除けになる所で休憩し、川向こうに向かった。

ストーン・ロウ川といっても、幅が1mもない所もあるので、橋に回らずに、誰かが石を並べて作ったらしい所を進んだ。ここに来た人達は皆そうやっていた。そして真っ直ぐにストーン・ロウへ。2列の石の間を進んだ。途中小川で分断されている。作られた後に流れが出来たらしい。塚端に着いたら、そこに塚が2つあった。地図にも書いてあったがくっついているとは思っていなかった。片方は崩れかかっていた。塚の周りを回っていたら、男性3人の訪問者が向かってきていた。ここは離れているにもかかわらず数人の訪問者がいた。
更にその周りを回ると、石が散らばっている。それが自然のものか人工的なものか分かりにくい。地図には近くに住居跡があるとなっていたが、場所が違う。このDartmoorはそんなことで迷ってしまう。
そしてもう1つのストーン・ロウを探しに川沿いに。結局分からなかったが、先史時代の遺跡でないかも知れないと。その近くに昔の小屋の跡を発見した。地図には廃墟となっていたのだ。その辺りは潅漑用なのか水路も造ってあった。近くに塚などもまだあるようだが、結局はっきり分からなかった。

Sharpitorそしてバス道へ戻らずに、Princetownの1つ前のバス停を目指して歩くことにした。ちゃんとしたパスではなかったが、歩いた跡があった。バス停の側にもストーン・ロウがある。その側にSharpitorという丘があるので先ずそちらに向かった。私が歩いた方向から来る人はいなかったが、近くの駐車場からはかなりの人が登っていた。丘の頂上は岩が崩れた状態だが、頂上の岩まで登る人もいた。そこからの眺めは実に良かった。北側を見ると昨日歩いた辺りまで見えた。結局昨日の近場を歩いていたのである。南にはBurrator Reservoirという大きな湖と回りの森林も眺めることが出来た。
丘を下ってストーン・ロウを見つけたが、どうやらかなり崩れているらしい。それらしい石の並びを見つけたのでそうだと思っている。道の向こうにもあると。それに向かったが、茂みに阻まれ位置が分からなくなった。そのあたりには人工的なものが見られたが。仕方なくバス停のある駐車場へ出て、バンで売っていたアイスクリームを食べた。しかし時間が余って、すぐ目の前の別の丘に登った。こちらの手前は石ころ、向こうは広場に草が生えている状態。その向こうにLeeden Torという丘があったが、疲れていたので行くのはやめた。そのずっと向こうには通信塔が見えている。昨日も見ていた。
これで3回目のDartmoor散策だがいずれも南側だけ。次に機会があるなら北側に行ってみよう。そこには大きなストーン・サークルとドルメンがあるらしい。

駐車場向かいの道路脇で座っていると、ちょっと遅れてバスが来た。本当に止まってくれるか不安だったが、私に気付いて10mくらい先で止まってくれた。

お天気は晴れ、やっぱり鼻炎がひどかった。

2006.07.14 Friday

旅行記17日目:Dartmoor、 MerrivaleのHut Criclesへ

今回2回目の滞在になるPlymouthに来たのは前回悔しい思いをしたDartmoorに再び行きたかったため。Britain島南部に行くのならついでに回ってみようと思った。その為、行ってみたい所への交通機関を事前にちゃんと調べていた。

3つの形式の石の遺跡が近くにあるというMerrivaleのHut Criclesを目指すことに。近くの町はTavistock。Plymouthから頻繁にバスバスが出ていることが分かった。その先は歩いて2時間余り。最終に間に合わないことはないが、これではゆっくり見ることが出来ない。調べている内にTavistockからDartmoorの真ん中にあるPrincetownまでバスが出ていることを知った。それがMerrivaleを通ることも。時間にして10分余り。乗り継ぎも程良い。
ストーン・サークルTavistockで次に乗るバスが目の前にあるのに時間になっても運転手が来ない。ちょっと過ぎた頃に運転席に着いたので乗り込んだ。降ろして欲しい所はMerrivaleを過ぎた駐車場の所だった。手前で1度止まって”ここか?”と聞かれたが、希望の所まで乗せていってくれた。今回は地図も前回に買って置いたものを用意していたので、その後の方向もすぐに分かった。

スタンディング・ストーン荒野に入ってすぐにストーン・ロウを見つけた。その先にスタンディング・ストーンとストーン・サークルもあると分かっていたが、ストーン・ロウ自然の石が散らばり、起伏もあるのでなかなか上手く見つけられない。歩いているとスタンディング・ストーンが見つかった。高さがあるので見つけやすいのは確かだが、回りの景色に溶け込んでいることがあるので遠くからでは見つけにくかった。近づくとすぐ側に大きなストーン・サークルも見つけた。この2つをじっくり見てストーン・ロウに戻った。ここには2列のものが川を挟んで2つあると地図にある。川? そう言えば幅50cm程の流れがあった。実は手前にあったのだが、石が小さく列も短かったので見逃していたのだ。最初の方の列沿いに歩いている時に気付いた。そして最初の列の側には小さなドルメンもあった。
実はこれだけで既に十分満足していた。

Hollow Tor時間もまだ十分にあったので、東に向かって歩いてみた。荒野の中に自然の石が散らばっている。その中にたまにスタンディング・ストーンがある。それに"A"と"T"らしき文字が刻み込まれている。石自体は古くから立っているようだ。調査の後なのか…それを辿って行くと囲いがある。個人の牧場らしい。そのあたりには塚があるが自然のものかよく分からない。住居跡もあるらしいが。明らかに積み上げた石も見つけた。そうやってTorと呼ばれる自然の造形物まで行った。このTorは”塔”の意味で、石板が積み上げられたような形をしている。長年の風化で出来たらしい。Dartmoorにはあちこちあり、よく丘の頂上にあるので、回りを見渡すとあちこちに見ることが出来る。このTorが風除けになるので、そこを選んで休憩した。

Great Mis TorTorからは眺めが良い。そして地形がよく分かる。次に向かったのは道路の向こう側にある遺跡。その途中、Dartmoor名物(?)のポニーがいた。子供がいたので思わずカメラを向けた。可愛いが、鳴き声は愛嬌がない。遺跡には別のTorまで丘を登った後に下りで寄ろうと考えた。帰りのバスの時間に丁度良い。登りは大きいパスを歩いた。これが長い。頂上の手前に小さいTorがあったのでそこでやめた。その先は危険地域とされていたからでもある。そして住居跡らしい方向へ向かうと、石垣がある。どうやらこの石垣の向こうも危険地帯らしかった。どんな危険かよく分からないが、石垣に沿って歩くとたまに大きな階段があり入ることが出来るようになっていた。結局この石垣の意味がよく分からなかった。中に入ると出るのがややこしくなり、バスに間に合わなくなるのでやめた。住居跡は外からも見えた。それらしい石の枠が見えたのでそこだと思っている。そうやってバスを降りた駐車場に戻り、そこではバスが止まってくれないかも知れないので、本来のバス停(と言ってもポールはない)のMerrivale Innの前で待った。

Tavistockでは最終バスまで数本あったので、ちょっと寄り道を。町を歩いてみたが、夕方で殆どの店が閉店。通りは閑散としていた。仕方ないので川沿いを歩いた。修道院跡の建物があった以外は、大して見るものはなかった。そして早々にPlymouthに戻った。

お天気は晴れ、カラカラの筈なのに鼻炎がひどい。何かの草にアレルギーらしい。

2006.07.13 Thursday

旅行記16日目:Plymouthへ

朝、チェック・アウト後、先ずツーリスト・インフォメーションへ行ってバスバスの予約をした。National Expressは予約が必要なのだ。チケットはパソコンのプリント・アウトの紙(A4紙)。変だが、チケットには間違いないらしい。

Weymouth博物館銀行へ行って、まだ時間があったので浜辺で他に行けそうな所を捜した。Wey川の向こう、昨日通ったあたりに博物館があった。橋を渡らなければならないが、何とか見学できそうだった。近くになると目の前を小学生が列を作って歩いていた。同じ目的地らしい。彼等の後に着いていくとやはり。彼等が入った後受付で”大人1人”というと”無料よ”と。有り難い。展示物は殆どが港に関係したもの。座礁した船から引き上げられた数々の部品・備品などがあった。奥は特別展示で、数人のコレクションらしい。天井には中国凧が吊されていた。珍しいものではeye bath(目の洗浄に使っていたらしい、現在もアイ○○という製品に同じ様な形の物が付いている、写真参照)、色々な顔をした修道僧の像(とっても愛嬌がある)、家の形をした入れ物など、面白い物があった。楽しかったので寄付をして出てきた。

Plymouth港の大砲WeymouthからPlymouthまで約3時間半。Plymouthはこれで2回目。バス・ステーションでツーリスト・インフォメーションを聞くと、以前と同じ場所。つまり遠いのである。更に重くなったトランク(フェリーに乗る時に21kgという表示が出ていた)を引いていくのは気も重い。タクシーで行くのも…コイン・ロッカーがあったのでトランクを放り込んで向かった。Plymouth港の風力発電宿は多いがシングルは少ないので、少々高めだが町中に取ることが出来た。投宿後、海が見える丘へ出てみた。2回目なので町中をあちこち回るのはやめた。前回もお天気が良かったが、今回もである。海沿いの遊歩道を歩いて港の方へ回った。前にこんなのあったっけ?と、見つけたのが2つの大砲。説明板を見ると、前回の訪問直後に寄付されたらしい。記憶は大丈夫だった。もう1つ。マリーナの入口に風力発電用らしい風車が2基建っていた。こちらは近づいて見ていないので分からないが、覚えがない。あれば写真に撮っていると思うので、やはり無かったと思う。
港から町中へ入り、昨日で懲りて夕食はスーパーで買って宿で食べた。港の通りにはレストランが並んでいたが、1人で入る気がしなかった。

お天気は晴れ、毎日アイスクリームが恋しくなるお天気だ。

2006.07.12 Wednesday

旅行記15日目:Dorset州Weymouthへ

Channel諸島の滞在も無事に終わり、英国本土へ戻ることになった。宿の人にこの後の予定を聞かれた時、Weymouthと言ったら”Englandlか”と。Channel諸島の人々はここはEnglandで無いと強く旅行者に意識させているのではないか、と思えた。

チェック・アウト後、タクシーが忙しかったために宿まで来てもらえず、バス・スタンスの横までに更に重くなったトランクを引っ張って、タクシーに乗った。フェリー・ターミナルに預けようと、カウンターに聞いたら、そのままチェック・インされてしまった。実に早いチェック・インになった。Bathing Pool町へ戻って、銀行に行った。お金Jersey札をEngland札に換えてもらいたいため。そのままだと聞きにくいので、トラベラーズ・チェックを換金したついでに聞いた。T/Cの換金でもEngland札をとリクエストした。ツーリスト・インフォメーションでもお釣りをEngland札にと言ったが、1ポンド硬貨が無くて、最終的に紙幣1枚が残った。フェリーの中でも使えるとのこと。記念に残しても良かったが、クリスプ(日本ではポテト・チップス)の小袋を買って使った。ついでに、Jersey島ではユーロでも支払いが出来る。おそらくFranceからの旅行者が多く、換金しなくても使えるようにしているようだ。
時間があったので、Elizabeth城が見える海岸に寄ってみた。ちょっとした写真を撮るためである。そこで見つけたのがBathing Poolと呼ばれているもの。地図を見て?と思っていたのだが、その時は満潮時で水没していて分からなかったのである。この時も満潮だったが、最高位にはなっていなかったのでその姿を確認した。海に囲いを作って出来ているプールらしい。なーんてことはなかった。

Corbiere Pointフェリーは順調に出発した。これがJersey島見納めになるので、デッキに出て島の南海岸を眺めていた。西南端を過ぎる頃、西海岸のウォーキングの出発点となった灯台が見えてきた。この時も干潮らしく、灯台のある岩場は道で繋がれていた。その後、海だけになったので、船内に買ってそのままにテーブルに残していた昼食を食べた。Jersey島-England間の船は必ずGuernsey島に寄る。早くも懐かしくなってきたそのGuernsey島に近づいた時、またもデッキに出て港を眺めていた。そしてこの出航が本当にChannel諸島とのお別れになった。それぞれ6泊、5泊したが、他の旅行者と比べると長い方ではないらしいが、日本人観光客としては長いかも知れない。

Weymouthそして本日の宿泊地Weymouthへ到着。港に着くとツーリスト・インフォメーションを探すことに。ロビーに地図があったので頂いて確かめた。海沿いにあるらしいが、距離が分からないので歩いていくか迷っていた。そこへ港湾関係のおじさんが声を掛けてきて、”歩いて15分くらいだが、(トランクを見て)タクシーで行った方が良い。幸いこのタクシーはフリーだ。”と言って、運転手に合図してくれた。夕方近い渋滞でタクシーはなかなか進まなかった。ツーリスト・インフォメーションに入って宿の予約窓口へ。4:45までの受付となっていた。4:40だったが、男性が手続き中だった。その内受付時間を過ぎたが、その前に並んだので大丈夫と思い待っていた。係は時間を過ぎていたが、そのことを知っていたので、何も言わずに受付を進めてくれた。Weymouthには宿が結構あるので、すぐに見つかった。宿へ向かう前に翌日のバスバスの時刻表も手に入れた。予約のことを聞くと、受付は終了したが、明日9時からやっているとのこと。バスの時間には十分だった。他に予約できる場所もないことも分かった。バス停の場所もついでに確認した。

White Cliff of Droset投宿後、海岸沿いを歩いた。Weymouthの滞在は全く予定していなかったので、どんな町なのかと歩いた。海岸は砂浜が広がっていて、暑さのため夕方であったが、海に浸かっている人(+犬)がいた。また、海岸には海水浴水泳のために小さな小屋が並んでいた。名物らしい。
フェリーからも見えていたが、ずっと先の東海岸にWhite Cliffがあった。このDorset州の南海岸に見られる白い崖で、映画映画などにも出てくる光景である。そこまでは到底行くことは出来なかったが、自分の目でこの光景を見ることが出来たのは良かった。
海岸を歩いた後、Wey川沿いにも歩いてみた。ここもマリーナになっていてレジャー・ボート船が沢山係留されていた。このボートの出入りのために大きな跳ね橋があった。珍しくその袂にあったレストランで夕食を取ったが、こんなメニュー、よく考えたなというくらいひどかった。味よりも変化のない材料である。半分残して出た。

Isle of PortlandWey川を渡った西側の岬にNothe Fortがあった。ここは見学できるらしいが、とっくに閉まっていた。見学する気もなかったが…。高台から西側を見ると大きな島があった。今は陸続きになっているが、Portlandという島である。港で手に入れた地図の裏側にここの地図が載っていて、何処にあるか気になっていた。ちょっとした観光も出来るようだ。路線バスもある。この島とNothe Fortがある岬の間にかなり広い港が出来ていた。その後、遊歩道をちょっと回って宿に戻った。

お天気は晴れ、この辺りは数日前はお天気が悪かったのに、私が行くから晴れたような気がした。

2006.07.11 Tuesday

旅行記14日目:Jersey島北海岸と南海岸へ、そして…

昨日は西海岸を歩いたので、今日は北海岸へ行ってみることにした。レンタ・サイクルにしようかとも考えたが、借りることが出来るのが隣町のSt Aubin(実はSt Helierにもあったのだが、案内を取ってきていなかったため知らなかった)。それに、北海岸は崖の上にパスがあるので、チャリ自転車では無理だろうと思われた。

Le Dolmen du Couperon先史時代の遺跡が北海岸にもあると。先ず、バスバスでRozelという港町に向かった。港に近い所にパスがあるのでそこで降ろしてもらうように頼んでみたが、上手く説明できなくて、Rozelまで行くことに。戻ってもそんなに距離はない。運転手が気を使って、ここか?と聞いてくれたが、とにかく港まで行くと。手前のパスの所で2人が降りたが、確信がなかったのでそのまま乗っていた。確かに近い。しかし登りの坂道である。港に着いてパスの入口に向かっていると、先程のバスが折り返し運転で来て止まって、分かったならそこまで乗って行けと(タダ)。ちょっと間違えて早めに降りたけど、結構急な坂だったので助かった。
パスを進んで程なくドルメンを見つけた。写真で側に小屋があることを知っていたので、すぐに見つかった。この写真は真横から撮ったもの。単に横に石が並んでいるとしか思わなかった。しかし、回ってみると、何と4列に石が並んでいて、中2列の上に天井石がのっているものだった! 高さは50cmくらいで低い方だが、じっくり見た。真ん中を覗いたりもしていた。回りを見ると、下のほうには海があり、駐車場もあった。遺跡の側には眺めが良い広場もあった。

Rozelドルメンを見た後、西へ向かって歩くことにした。崖の上にずっとパスを作ってある。バスを降りた所に出て暫く港をウロウロした。小さな村だが、埠頭の側には人が集まっていた。ガチョウ鳥の群れもいた。人から餌をもらうためである。
崖の上のパスをひたすら歩いた。途中、パス近くにドルメンがあると絵地図に載っていたが、それらしき所には蕨が生い茂っていて確認するのを諦めた。日本では春先に蕨取りをするが、こちらでは食べる習慣もないのでそのまま成長している。それが増えに増えるものだから、そこら中蕨。入っていく余地もないのだ。

BouleyRozelから次の港のBouleyまで約1時間40分。この間には崖しかないが、さすがに景色は良い。パスは登ったり降りたり。坂も急な所がある。そんな所には大抵階段が作られているので歩くのには苦労はしない。階段は木製で、滑り止めらしいが、U字型の釘が打ち付けられている。それが足の裏まで感触が伝わり、何となくツボを刺激しているように感じた。
Bouleyで30分程休憩して、パスにまた入った。地図では埠頭の横からあるとなっていたが、そこは閉鎖されていた。内陸に向かう道路から入ることが出来るようになっていたので問題はなかったが、閉鎖されているのをもうちょっと手前で案内して欲しかった。
途中で東側を見ると、海の向こうに陸が見えた。その距離と広さからすると、その陸はFranceらしい。Jersey島からFranceまで最も近い所で20kmなので、お天気が良ければ見えるのである。

通信塔が見える辺りで内陸に向かうパスに入った。そのあたりにドルメンがあると有料のガイドにも書いてあった。一旦民家の側に出て、再び小さいパスに入った。次第に進みづらくなったが通信塔の側の棘が生い茂っている所に出た。通信塔は3基ある。その内のBBCの通信塔の近くらしい。パスを出た所は違うのだが、近くなのでグルグル回ってみたがそれらしいものは見当たらない。BBCの塔のあたりに舗装道路に出て近づいてみたが、よく分からない。ガイドを確認しようとしたら、宿に置いてきてしまっていた。それ以上無理なので諦めた。ガイドにも探すのが難しいとあったような気がしたからである。
ここで時間を取ったため、崖の上のパスには戻らずに舗装道路を歩いた。舗装道路は足に悪く、すぐ痛くなり始めた。駐車場があり、眺めが良さそうだったので、休憩も兼ねて入った。Giffardと呼ばれる、集落はなく岩場ばかりの湾である。ここまで約1時間50分。

Bonne Nuit駐車場から崖のパスの入口があった。足のためにこちらに進むことにした。そして終点としたBonne Nuitという港にまもなく着いた。40分程だった。道が回っていて、見た目より時間がかかった。ここからバスでSt Helierに戻るつもりだった。バスの時間を確かめると、約30分後である。実はその先のWolf's Caveまで行って戻ってくるつもりだったが、時間がないのでやめた。絵地図にはこの側にもドルメンがあるとあったが、先の状況から見つけるのは難しそうに思えた。
バス停は港から登った所にあるが、下まで行って戻るには十分だった。港にはカフェがあり、絵葉書を物色しに入った。レジに行くとジャージー牛乳のアイスクリームソフトクリームがあると。味見したいので一緒に買った。普通より濃い味。牛乳も普通のものより脂肪分が多いらしい。それで濃い味となるようだが、体脂肪には悪い。これだけ歩いたから良いか…と、食べた。美味しかった嬉しい。ここ数日、夕食でジャージー牛乳で作ったヨーグルトを色んな味で試してはいたが。プレーンでも結構濃かった。
このアイスクリームにも満足グッドして、バスバスで無事にSt Helierに戻った。

St Helierには6時前に戻り、朝目を付けていたTシャツを買った。そして再びバス停へ。町の東にある2つの遺跡を見るためである。歩いても行ける所だが、北海岸を歩いた後だったので片道だけでもと思い乗った。そのバスが夕方の帰宅で混雑していた。降りたい所を運転手に伝えてはいた。その辺りで呼んでくれていたようだが、話し声と景色が確認できなかったので気付かなかった。暫くして海がずっと見えていたのでもしやと前に行き、戻れと言われて降りた。結構元気に歩いて戻った。

Green Island最初の遺跡は何と干潮時に道が出来る小島の上。しかもボートはない。島の案内が出ていたので、海辺に出る所はすぐに分かった。そして、やっぱり満潮時。島へは渡ることができない。遺跡は岸からは見えない。残念だが仕方がない。島に一番近い岩場に登って暫く眺めていた。
ここにはちょっとした船着き場がある。そこに着いた時人が大勢いた。この夕方にである。島を眺めてそちらに向かおうとしたら、その集団が上半身裸になってこちらへ向かって来る。少ないが女性もいた。女性はワンピースだが、全員水着姿である。どうやら、ライフ・セーバーのテストが行われるらしい。集団とはぶつかったが、こちらを気に留めることもなく、走り去っていった。

Dolmen Mont de Ube2つ目の遺跡は、島の遺跡の真北に当たる。そして道も間違えようがない程ほぼ一致直線に進む。森の中への案内が出ていた。薄暗くて誰もいないので、つい急ぎ足になったが、行き止まりに遺跡があった。
石室と通路の境が分からないちょっといびつなものだった。天井石はない。説明図にあった石室内の石もよく分からないのがあった。町に近いせいで、無くなった石もあるようだ。そうは言っても立派なドルメン。周辺の石はちゃんと残っていて、見栄えがした。これがこの島で訪れた最後のドルメンである。

町までは歩いて戻った。幹線道路で、歩いている人は少ないが、たまにいる。そんな中、1人の(若い)男性が通り過ぎてすぐ声を掛けてきた。”Skye島へ行ったのか? 僕はSkyeから来た”と。その時Skye島で買ったTシャツを着ていた。彼はScottishだった。”3回行った”、”最近は2年前”、”Skyeは最高だ”等と言うと、喜んでいた。何だか懐かしくなってきた。彼はこんな所で何をしているかは聞かなかったが、気分は良かったと思っている。私も気分が軽くなり(別にそれまで重かった訳ではない)、ついでに足取りも軽くなった。分かれた後、彼の英語が分かり易かったことに気付いた。宿の人の英語が聞き取りにくかったのだ。ノーマン・フレンチ訛? それともScottishの英語に慣れていたのか…

Jersey Caledonian Pipe Band幹線道路が海辺に突き当たった所で、さっきのSkye Man(勝手に名付けた)の影響とは思えないが、どこからかバグ・パイプの演奏が聞こえてくる。その前も町中で聞いたような気がした。何処かのパブ?と、場所を確かめることもできないので宿へ向かった。そしてまたバグ・パイプが。横の公園の中らしい。入ってみると、舞台で演奏会が行われていた。ハイランド・ダンスも行われていた。演奏は音が乱れることもあったし、ダンスもそんなに上手いとは思わなかった。ソロの演奏は上手かったが。何処のバンドなのか…無料だが、寄付が回ってきた。9時に演奏会が終わった。公園を出る時にこの公園で行われるイベントの日程が貼ってあった。この日はJersey Caledonian Pipe Bandとあった。地元のバンドだった。Scotlandから来たにしては…と思っていたので、納得した。パイプ・バンドって、あちこちあるんだ。日本にもあるから、ここにあっても不思議ではない。
今日がJersey島、Channel諸島最後の日である。その最後にScottishフレーバーに囲まれた気がした。変な気分である。

お天気は晴れ。歩数計のカウントが46824の最高を記録した。そして、焼けた…

2006.07.10 Monday

旅行記13日目:Jersey島西海岸のウォーキング

西海岸にいくつか遺跡が並んでいるので、そこを歩いて北上することにした。先ずバスで南端の灯台へ。路線バスに遅れて、昨日と同じEasyLinkを使った。片道切符である。

La SergentéCorbiere灯台という名所で、これまた干潮の時に道が出来るもの。皆そちらに向かったが、私はバス停の近くにあると書かれていたドルメンへ。程なく見つけたが、かなり崩れかかっていた。ここが出発点である。
ついでに。ここにも嘗ての砲台があったが、これが何と、現在使われている! 砲台としてではないが…管制塔みたいだったが、空港はもっと離れている。通信施設であるようだ。人もいた。
次にこのすぐ北にあるドルメン。北側の岬にある。パスの入口は分かったものの、途中で分かれ道になり、岬を回った。通り過ぎたのが分かったので、登りのパスを見つけ上がってみた。見回してみると緑色の説明板がちらっと見えたので行き着くことが出来た。丸い石室と通路である。天井石はなかった。

Standing Stone調子がよかったので、説明にはなかったが、地図にあった2つのスタンディング・ストーンを探してみようと思った。ドルメンがある岬の上から下に降りないで行けそうな道があった。ドルメンの側には住宅があり、そこから一旦道路に出て、大きなパスを見つけた。その途中で、それらしき位置で、脇のパスに入った。藪の中に入り混んだが、その先に広場があるようだったので突き進んだ。出たのは何とゴルフ場だった。行き過ぎたようなので、ゴルフ場の端を通って出ようとした。しかし、そのグリーンの中にスタンディング・ストーンを見つけた。幸いプレーをしていなかったので近寄って、慌てて離れた。もう1つはゴルフ場の外の筈だが、よく分からない。ゴルフ場(の端)をさまよい、外の崖の上に辿り着いた。下の方を見ると、それらしきものを見つけた。ゴルフ場の横からの下り道を見つけて、近づいた。ここまではまだ順調の内だった。

2つのMenhirsと1つのDolmen次のスタンディング・ストーンは砂丘の中。探したが、結局よく分からなかったので、説明書にあるメンヒルを探した。地図の位置がスタンディング・ストーンとなっているが、どうやら記述の違いらしい。しかし、砂丘の中を方向を失っていたらしくそれらしいものが見当たらない。海辺の道に沿っていた筈が、いつの間にか内陸に向かう道沿いに歩いていた。砂丘の小高い所に登って今自分がいる位置を確認した時に分かった。そしてよく眺めるとスタンディング・ストーンが見つかった。その方向に向かうと、近くに小さいドルメンもあった。これが説明書にあったメンヒルとドルメン。もう1つメンヒルがあるはずなので、回りを歩くと、あった。小さい砂丘の向こう側だった。これで納得して、海辺にある駐車場に向かった。これ以上砂丘を探しても見つからないと思ったからである。砂丘をさまよって時間も相当かかったことだし。休憩も兼ねて海を眺めながらお昼にした。

Les Mont de Grantez次は小高い丘にあるらしいドルメン。取り敢えず海沿いのパスを歩いていた。近くなった頃に位置を見入ると、ビジター・センターにもなっているタワーの手前で入る方が近いらしい。とっくに通り過ぎているが、近くのパスを入ると、行き着けるようだった。そして狭い道路沿いに家並みが並んでいる所に出た。ここまでは良かったが、どちらに歩いたらよいか分からなかった。暫く歩いて、お孫さんと散歩中の女性に会ったので聞いてみた。小さいパスがあるが入口が分かりにくいのでそこまで連れていってくれた。自宅を通り過ぎてである。自宅を通り過ぎる時、お孫さんが叫き始めたが、暫くして散歩が長いのを喜んだようで、機嫌が治った。案内もないパスだったが、この先を行けばよいと聞いてお礼を言って進んだ。真っ直ぐの筈が、途中で3つに分かれている。どちらを行けばいいか分からなかったが、上に登るので階段がある方を登った。登り切っても眺めが良いだけで、それらしいものはない。降りてもう1つの登りを登ったがやはり無い。分かれ道でウォーキング・ツアーらしき団体にあったが、彼等に聞けば良かったのに。2つ目の登りの側に保護地があったのでその中を見た。なかったが、先程の団体が私が選ばなかったパスを進んでいるのが見えた。そのパスと私のいるパスが途中で再び合流しているのが分かったので、彼等の方向に向かった。そして駐車場に出た。そこを見ると、最初に登った所からもそこに出たようだ。もう少し見回してみれば良かったのに…と思いつつ、車で来ていたおじさんが、”あの友達とはぐれたのか?”と。”違う”と答えたら”ドルメンを見たいのか?”と。”向こうにあるから、彼等の後に付いていったらいい”と言ってくれた。かなりの回り道で、30分は余計にかかったようだ。
ドルメンは石垣に囲まれていた。立派なもので、小さい石室と通路があった。天井石もほぼ残っていた。石垣の中に入ることも出来るようで、段が設けてあった。団体さんは入っていなかったが、彼等が去った後に入って、石室を覗いた。

La Hougue des Géonnais先のドルメン探しで時間を喰ったので、海辺にある”ピナクル”と呼ばれている遺跡を諦めることにした。北側にある遺跡はどうしようかと思いつつ、まだちょっと時間があるので、取り敢えず舗装道路をそちらに向かって歩いてみた。これが迷わずに、しかもフラワー・センター前のバス停に思ったより早く着いた。この分だと北側の遺跡には十分間に合いそうだった。北側の遺跡までは殆どが舗装道路を進むことになった。それが切れた所に家があり、すぐ先に案内が出ていた。
天井石はなかったが、石室に割に広い通路があった。時間もあるようだったので結構じっくり見た。本日最後となるドルメンであった。
この後、海辺の崖の上のパスを通って、昨日バスが止まったGreve de Lecqという村に出る。6時までに着けば最終のEasyLinkのバスには間に合う。1時間もかからないはずである。そして海辺のパスに出る道を進むと、行き止まり。地図では繋がっていたけど。茂みに小さいパスがあるようなので入ってみたが、違うと思った。別のパスを見逃しているようで、そこで戻って見たが、遺跡のある所に戻った。やっぱりおかしい。先のパスをもう一度進み、今度は茂みを突っ切ってみた。そうしたら、崖の上の立派なパスに出た。最初からそうしていればいいものを。何だかこの島に来てこんな事ばかりしているようだ。
このロスにもかかわらず、目的のGreve de Lecqに着いた時には最終バスまで十分に間に合う時間だった。海辺のレストランはまだやっていたので、飲み物を買って、海辺で休憩した。バス停に向かう所で、路線バスが出ていった。時刻表を確認すると、EasyLinkより遅いのがあった。あんなに慌てることもなかったのに…路線バスに乗ってみた。EasyLinkより安かった。そして無事にSt Helierに戻ることが出来た。

お天気は晴れ、一時雨。よく歩いた。

2006.07.09 Sunday

旅行記12日目:Jersey島東海岸へ

島最大の先史時代の遺跡を中心に回ることにした。EasyLinkのバスバスを使うと、東海岸にある大きなお城も回ってみることが出来るルートがある。これで3回は乗るが、片道2ポンド、往復3.50ポンド、1日通用券が7.50ポンド。通用券より3回買った方が安く付くことに気付いた。しかし、通用券をうまくいかして、他のルートを乗り継げば島を一周することが出来ることに気付いた。時刻表も上手くできている。通用券はセンターで売ってあるが、目の前にあるのに気付かなくて、運転手から直接買った。センターのはカード形式になっているらしい。

La Hougue Bie塚日曜日とあってバスは結構混んできた。東海岸最大の名所のお城でも誰も降りなかった。次の庭園もパスし、動物園で、私以外の全員が降りた。運転手は私がいることに気付いてくれているだろうか…誰もいなかったら、次を飛ばして、またお城に戻ることになる。そんな心配をしていたが、私の目的地でちゃんと声を掛けてくれ、無事降ろしてくれた嬉しい
中に入り、入場券を買った。ガイド・ツアーは10:30から。まだ、誰もいない。私が本日最初の入場者らしい。そして雨雨が降り出した。売り場のおばさんが、傘があるから使って良いと。レインコートを持っているから、使う必要はなかった。他も色々言ってくれた。
ガイド・ツアーが始まる頃になると人が集まってきた。話は、島の隆起で始まった。昔はもっと大きかったとか。垂れ幕にこの遺跡の歴史をプリントした展示室に入り、近代までの歴史を説明してくれた。部屋の中には塚の上にお城があった頃の模型があった。La Hougue Bie石室の入口そして、石室へ。石室の中は全員が入ることが出来る程大きかった。説明の中で、このような石室でもっとも良いのはIrelandのNew Grange。次に良いのがOrkneyのMase Howと。どちらも行ったことがある私には嬉しかった。3番目はよく分からないが、ここも良いと。Mase Howみたいに文字が刻み込まれたものはなかったが、薄い線が残っていると。そして外に出ると雨が上がっていた。今度は塚の上に登り、現在残されているチャペルに入った。2室あり、一通り説明がここで終わり解散。約1時間半。後は自由に場内を回ることが出来る。石室の中の写真を撮りたかったのでもう一度入った。場内には他に先史時代の小屋やドイツ軍の地下壕があった。発掘の出土品などを展示した博物館やビデオルームテレビもあった。売店では島内の先史時代の主な遺跡の一覧と地図(無料)とガイド(有料)を手に入れた。これも目的で、最初にここを訪れた。

Mont Orgueil城次にお城へ。Mont Orgueilというお城で、海岸の崖の上に建っている。案内はなかったが、他の人に続いて防波堤の横の階段から上がった。これは裏口。表はバス道から入るように案内が出ていた。バス停からはこちらが近かったのである。ガイド・ツアーは1時間後だったので、勝手に回った。中で中世の服や鎧を着た人達がいた。色々な儀式や生活を再現しているらしい。壁づたいに上がっていくと、広いテラスに出た。風が強い。回りを眺めた所で建物の中に戻り、部屋を覗いていった。ドアからドア、階段を上っていったら、屋上に出た。眺めは良いが風が強くて、吹き飛ばされそうだ。また階段を下りて、別の部屋に入った。部屋を回っていると、一体何処にいるのやら…と分からなくなった。そうこうしている内に階段を下りたら、入ってきた廊下に出た。訳が分からなくなったので出た。それ以上の興味は湧かなかったので、ついでにお城も出た。

Faldouet Dolmenバスバスに乗ろうかと、バス停まで行ったが、次の目的地の遺跡が次のバス停との丁度中間にある。この遺跡は今朝一番に行ったLa Hougue Bieの資料にあった所。歩いて10分強くらいの筈。バスは来たが結局乗らずに歩くことに。その前に石垣に登って、海を眺めながらお昼にした。良いお天気である。そして、バス道の坂を上っていった。途中でパスを見つけた。ここを行くのか?と一旦階段を上って途中まで行った。方向が違うようなので、またバス道へ戻り、坂を上っていた。その時地図をもう一度確かめた。バス道と細い舗装道路を見間違えていることに気付いた。遺跡へは細い道路から入るようになっていた。その道までさっきのパスが近いのだ。慌てて坂を下り、パスに続く階段を上った。息が切れてきた。10分近くのロスである。バス道に案内が出ているので行き着けるが、次のバスに乗れなくなる。細い道路に出た所で、ドルメンの案内があった。その後の分かれ道にもあったので、その先は迷うことがなかった。最初の階段にもドルメンの案内も出してくれてたら良かったのに。
ドルメンは2列の石の先に丸く石が並べてあるもの。天井石も残っていた。結構大きなドルメンである。10分のロスが痛かった。慌てて回りを一周し、写真を撮るだけ撮って終わりになった。もっとゆっくり見たかったのに。

ドルメンに別れを言って、細い道路に戻った。そして、次のバス停がある庭園まで急いだ。このバス停は朝通過したので分かっていた。十分間に合った。もうちょっとドルメンをゆっくり見ても良かったのに…バスで次に降りたのは動物園。もう夕方なので、閉園間際。こんな時間に動物園で降りるのは私くらいである。動物園に行く訳ではない。別のルートのバスが10分くらいおいて出発する。1日通用券で乗ることが出来るのだ。そして、次のバスに乗って降りたのがLiving Legendという所。名前に惹かれそうだが、実はアトラクション施設で、要するに遊園地である。ここで降りたのも入るためではない。また、別のルートのバスに乗るためである。20分くらい待って、運転手と乗客ではなさそうなおじさん(ずっと運転手と話をしていた、どんな人かは不明)だけを乗せたバスが来た。このルートはSt Helierが始発・終点で西側の3分の1くらいを一周する。時計回りと逆回りがある。私が乗ろうとしたのは逆回り。こちらがSt Helierに遅く着く。この後の時計回りの方が先に着くので、運転手が何処に行くつもりか聞いてきたが、西側の海岸を回っていきたいと言ったら、OKと。これがこの日の最終バスでもある。一旦北側のGreve de Lecqという村を回って、その後西側の海岸へ出る。途中で乗ってきたカップルも後のバスの方が早く着くのに、わざわざ乗ってきた。同じ様な人がいるらしい。これで取り敢えず島を一周した。1日通用券で十分に元も取れた!

お天気は晴れ、一時雨。見学には支障がないお湿りだった。

2006.07.08 Saturday

旅行記11日目:Jersey島St Helier巡り

島内には中心の町St Helierから離れた所にいくつかの名所があった。その中には先史時代の遺跡もあった。
朝、ツーリスト・インフォメーションへ行って、更に資料となるものを探すと、この名所を結ぶEasyLinkというバスがある。路線バスとは別である。路線バスを使おうと思ったのだが、時刻表が有料だったので、買わなかった。バス停に行けばそれぞれの路線に時刻が書いてあった。また、どの路線かというのは絵地図(無料)にあったから不便はない。そのEasyLinkは土曜日がお休み。つまり、本日休業だったのである。そこで、町中にあるお城と博物館を見に行くことにした。

Elizabeth城先ず、港へ行って、フェリーの予約をした。町中にいる時しかできないからである。そして、町へ戻らずに、近くにある公園を通って海に出た。昨日とは別の方角である。その沖にあるのがElizabeth城である。干潮の時刻も調べていた。11:20ということで、丁度潮が引いて道が出来ていた。早速向かった。結構長い道である。
お城は細長くて、見て回っている内に、いつの間にか先の方まで歩いていた。門を潜ったり、見張り台から回りの海を眺めることが出来る。ここもドイツ軍の砲台があった所だ。奥には大きい塔があった。そこから賑やかな声が聞こえる。訪問者が多いのかと、上がってみると、結婚披露パーティが行われていた。パーティには入ることは出来ないが、塔の屋上に上るのは勿論可能である。満潮時のElizabeth城お城は近代になって更に拡張され、その先にある岩の間に埠頭を作っていた。小さい門を通っていくのだが、満潮時には注意とあった。途中には岩の上にチャペルがあった。先まで行ってみた。単に海があっただけだったが。そして、広い中庭にある資料館を覗いていた。この時、12時を知らせる大砲の音が聞こえた。見学可能で、このお城の名物行事なのだが、間に合わなかった。そして、珍しくカフェで昼食を取り、記念品を物色して、お城の外を見た。道がなくなっていた。潮が上がって水没したのである。水陸両用船このために、水陸両用の船がお城と海岸を往復している。潮が上がっている時は、車が付いているので道の横の砂地を走るのである。また、上下船時も陸に上がる。船が来たので乗り場に並ぶと、人数を数えている。何も言われないので、乗れるらしい。私の後ろに並ぼうとした人は断られていた。私が定員最後の人間だったのである。片道3.30ポンドと高いが、水深も深くて歩けないし、潮が引くまでは数時間もあるので、乗るしかない。10分くらいで岸に着いた。

次に向かったのがJersey博物館。着いた日に場所が分かったのでそちらに向かうと裏口らしい。表を探すと、建物は確認できたが、入口が見つからない。よく見ると、レストランの奥にある。博物館併設のレストランでもなさそうだが、通り抜けるのはかまわないらしい。
最初の部屋はJersey出身のモデル(と思ったけど)の所持品の展示。2階へ上がると、先史時代から現代の島の歴史を様々な展示物で物語っていた。島内は英語が通じるがノーマン・フレンチが今でも話されているとか。しかし、次第に変わってきているとかで、古い時代の言葉の音を歌(童歌みたいだった)で流していた。町中でも、余り英語が聞こえなかった。フランスからの観光客も多いので、あれがノーマン・フレンチかは定かでない。3階は色々なコレクション。目を引いたのは日本の鎧甲。何故?こんなのが…説明に横浜から持ち帰られたとあった。貿易商のコレクションだったらしい。その上は嘗ての名士の館を再現していた。子供部屋から女中部屋まであった。
売店は島に関する本読書がたくさんあった。学校からの推薦本も置いているらしい。そして、島の縮尺地図を手に入れた。歩き回る時使うためである。出る時、先程のレストランの通路だった所に、大きなテーブルがセットしてあった。入るのに躊躇しそうな位置。この後の入場がないから良いのかも知れないが。

海洋博物館ここで午後4時過ぎたが、急いでいけば近くの海洋博物館に間に合う。Jersey Occupation Tapestryが併設されて、入場券はどちらも見ることが出来るようになっていた。その分高め。片方だけで良かったのに…"late time"の割引もないし。ここの海洋博物館はあちこちに科学シミュレーションの仕掛けがあって、結構遊ぶことが出来る。時間がないのでほどほどに操作した。大部屋に移ると大きな地球儀がある。地球儀自体は回らないが、船などが動く仕掛けがあった。結構面白かった。チケット代が勿体ないので、Occupation Tapestryも見学した。こちらは第2次大戦のドイツ軍の占領から解放までの絵をタペストリーに織り込んでいるものである。実際の写真も側にあり、その街の様子を忠実に織り込んであった。

St Andrew's Parkの2つのドルメン閉館時刻(夕方5時)ギリギリに出て、表のベンチで休憩。手に入れた地図を眺めると、そんなに遠くない所に先史時代の遺跡がある。海辺の遊歩道を郵便局を目印に歩いた。郵便局は見つからなかったが、曲がり角が分かった。そこにはFirst Towerと記された、砲台跡があった。この道で良いはずと進んだ。やっと家並みが途切れた所に公園があり、この中にあるはずと入った。公園はSt Andrew's Parkらしい。これは観光ガイドの中にドルメンがあると書いてあった公園ではないか? 絵地図や縮尺地図でこの公園を探しても見つからなかったのである。ドルメンは2つある。ストーン・サークルの中央にドルメンがあるものと2列の一部に天井石がかぶっているものである。説明書きもある。石がやけに赤い。回りに柵があって近づくことは出来ないが、2周してじっくり見た。通りがかりの人も見ていく。親子連れの子供が2列のドルメンを見て、”線路みたい”と言っていた。親は笑っていたが、その発想、結構良いかも知れない。
満足して、入った所とは別の所から出た。近そうだったから。そんなに歩かない内にFirst Towerに出た。メチャクチャ近かった。

お天気は晴れ、日焼けが進んだ。

2006.07.07 Friday

旅行記10日目:Jersey島へ

次の目的地、Channel諸島最大の島Jersey島へ移動した。

砂のロバ朝、チェック・アウト後、港に荷物を預け、時間までSt Peter Portの町中を彷徨いた。先ず、記念にとツーリスト・インフォメーションでTシャツと来年のカレンダーを買った。外へ出ると、雨雨が降り出した。レイン・コートを羽織りながら、坂道を上って、建物が特徴的なThe Marketに行った。いつも建物の側をバスで通り過ぎるものの、開いている時間は他を回っていたので、どんな所かみたかったのである。中は(海苔や昆布はないけど)海産物や小物を売っていた。買いたい物はないのですぐに出た。
適当に回って、また港に出た。港の中に気になる像があったので近づいてみた。砂で出来たロバだった。お尻しか見ていなかったので、何かと思ったら…砂があちこち崩れ始めていた。一時的な展示物らしい。ここで雨が止んだ。

チェック・インは1時間前までとあったので、11:30頃に預けてあった荷物を取ってカウンターがあるロビーに行った。船船は12:40出発である。しかしロビーには他の客が皆ベンチに座っている。カウンターを見ると誰もいない。私の後にやってきた人達もカウンターを覗くが、チェック・インをやっていないのを知ってベンチに座ったりしていた。これだけの人達が待たされているので不安にはならないが、この船会社はもう!?… チェック・インが始まったのは12時くらいだった。座席は中側のテーブル付きの所だった。乗船時間は55分。

St Helier港Jersey島の港はSt Helierにある。この町は更に大きかった。到着がお昼なので、ツーリスト・インフォメーションの心配もなく、だいたいの場所も分かっていたので、割にすんなりと行くことが出来た。途中の交通量の多さに既にウンザリしていたが。金曜日からの5泊にもかかわらず、宿も町中にすぐに見つかった。歩いてすぐに行ける所で、曲がり角も間違うことがなかった。ただ、係のお兄さんが印をした所が道の反対側だったが。

再び街へ出て、先ず、ツーリスト・インフォメーションで島の情報を手に入れ、町中のカフェで母に手紙を書き、手に入れた資料を眺めていた。だいたいの予定を決めた所で、港近くを彷徨いた。そして、ここでも高い所に登ってみた。崖の上だが楽な道があるはずと、ぐるりと回った。崖の上は砦の名残があった。この島も第2次対戦でドイツ軍に占領されていたので、その砲台などが残されている。港も一望できた。

お天気は晴れ、一時雨

2006.07.06 Thursday

旅行記9日目:Alderney島へ日帰り

残った1日はまた別の島へ。Channel諸島で3番目に大きい島なので宿泊を考えた。だが、行き方を調べてもガイドブックを見ても定期便がなくチャーターかプライベートの船でしか行けないとあった(飛行機はあるようだが)。諦めて、日帰りツアーででもと思って、St Peter Portのツーリスト・インフォメーションで探したら、不定期ながら航路があった。昨日はなかったが、今日は朝8時出発、夕方5時にAlderney島を出発するとなっていた。船会社のリーフレットを見ると1時間前にチェック・インとある。朝食を食べていたら間に合わないので、朝抜きで出かけた。ところがカウンターには誰もいない。2日前にお世話になったおじさんが(また、あんたか!という顔をして)座って待っていろと。7時前に女性が1人、老夫婦がトランクを持ってやって来た。7時20分頃に係が来て、やっとチェック・インが始まった。チケットの購入もその場で出来た。待合室にいると男性が2人(連れではない)入ってきた。7時半でも間に合った。朝食、食べられたのに…そして、合計6人の乗客が座席数が100くらいある船船で出かけることになった(席は自由)。

乗船時間は1時間。Alderneyに着くと、レンタ・サイクルの看板があった。マウンテン・タイプ自転車だが前籠付きのチャリを借りた。前籠はカメラカメラバッグを入れるのに丁度良かった。この前籠、どこか外れかかっているのか、ちょっとの衝撃でもガタガタいう。ひどい時は中身が飛び出しそうだった。カメラは壊れはしなかったが、心配になってくる程だった。サドルは十分に足が届く高さだったが、ハンドルとの距離が長くて、乗りにくかった。

チャリは借りたものの、何処にどう行って良いか全く不明。適当に乗っていくと、町中に着いた。地図を売っていないか探していると、ツーリスト・インフォメーションに行き当たった。有料だが手に入れた。しかし、現在地を確認するが、地図に のマークがない。もう一度入って、マークを入れてもらい、ついでに方角も教えてもらった。

AldernyのStanding Stoneツーリスト・インフォメーションの近くにAlderney Society Museumを見つけた。部屋のレイアウトと説明書を貸してくれた。結構面白そうな展示物だったが、見ている内にお腹が痛くなり、駆け足で見る羽目になった。急いで説明書を返して、受付の外にあるトイレに駆け込んだ。受付の人にどうして?という顔をされた。あまりに早く出ようとしたからである。面白くなかったのか?と思われたようだ。トイレからもう一度部屋に戻って、展示物の絵葉書を買った。申し訳なかった。

そして、西側の空港の側にあるスタンディング・ストーンまで行くことにした。角を曲がって…行けども空港がない。初めての町でチャリに乗ったため、距離感が狂ってしまい、方向を間違えていた。通りがかりの女性に聞いたら、下りた坂を戻れと。登り切った所で、地図と通りの名前をゆっくり確認した。そして方角も分かり、滑走路の端に着いた。そこから自然保護区へのパスがあり、直角の曲がり角でスタンディング・ストーンを見つけた。

次に向かったのがドルメン。パスを先に進んだが、これがひどい砂利の凸凹道。お尻どころが体全体に揺れが響いた。船で一緒だった女性は自前のチャリを持ち込んでいたが、これがロード・レーサー・タイプの細い車輪。タイヤが傷むので押している。怒っているのか、挨拶もしてくれなかった。港では声を掛けてくれたのに…
La Roc a l’Epine2ヶ所、寄り道をして、このパスを進んだ。舗装道路に出た所で、気持ち良く進んだ。あまりに気持ち良くて、もう1ヶ所の寄り道を見逃して、同じ方向の道路を下った。そして大きな砦が見えた。下った所で休憩した。右の方に家並みが多く見えるし…道路もその先、整備されている。ここは一体何処? 大きな砦の写真を坂の上から撮りたかったのでチャリを押して戻った。撮った後、更に登ると、道端の石が白く塗られているのを見つけた。近づいてみると、これがドルメンの案内だった。いつの間にか次の目的地に着いていた。地図を確認すると、あの家並みは港の側に立っているもので、降り立った港もすぐ側に見えていた。つまり、島を知らない内に半周していたのである。距離感が狂っていたのである。

Fort Tourgisやっと、地図と実際の距離感が掴み始めた所で、見逃した寄り道を見つけて進んだ。Zig-Zagと呼ばれる道である。上から見たら、かなりの坂で、名前のとおり、”く”の字型に道が折れている。その先には小さい砦が海に突き出ている岩場に作られていた。写真に撮った大きな砦の隣である。2つの間にはちゃんとした車道もあり行き易くなっていた。Zig-Zagの道は坂も曲がり角もきつかったので、下らずに戻って、今度は島の反対側にある自然保護区に向かった。道も良かった。途中、最初に間違えた道を通っていることに気付いた。いったいどうしてこうなったのか、自分でも不思議だ。

鉄器時代の窯業場こちらの自然保護区は広い。その中に鉄器時代の窯業場の遺跡がある。ついでにそこへ寄ってみた。道も分かれていたが、間違わずに進んだ。もっとも、もう一方の道を進んでも遠回りになるが、同じ所に出るようだ。それらしき位置で回りを確認すると、案内らしき物があった。小道に入ると、また案内板が…ゴルフ場のものだった。またゴルフ場の中か…と思ってい進んだ所で、遺跡が見つかった。遺跡といっても、草が生い茂っていて、僅かに遺跡と確認できるように低くなっていただけ。石が数個あったが、説明板がないと、全く分からない状態であった。たいして面白くなかったが、ついでなので良かった。

この辺りの自然保護区をゆっくり進んだ。砂浜近くに駐車場があったので、チャリを降りて海を見ると、また砦があった。こちらは干潮時のみ渡ることができる道が出来ていた。隣の岬の岩が面白そうだったので、その砦の所まで行って眺めようとした。砦はやはり廃墟で、中に入ることは出来ない。回りも途中まででやめた。辺りの浜辺などの景色は良かった。

その先、どんな道が待ちかまえているか分からないので、早めに先に進むことにした。島の南側にあたる。道も良かったのでどんどん進んだ。近くに鉄道も走っているらしいが、何も見えない。内陸になるらしい。灯台の側にshell houseという印が地図に付いていた。?と思って灯台を回る道へ。塀を貝殻で飾り付けている家があった。ティ・ルームにもなっていたようだ。その後海岸を回ったり、崖の間を走ったりしていると、港が見えてきた。その手前のBray湾と呼ばれる海を眺めながら休憩した。ほぼ一周した訳である。

チャリを返す予定にはまだ時間があったので、町中へ戻ることにした。街は坂の上にある。登り口にレールがあり、側に駅舎も建っていた。運行時刻を見たら、4月だけだった。写真によると可愛い蒸気機関車が走っているらしい。町中はボコボコの石畳で、チャリに乗る気がしなかった。ゆっくり見て回ったが、特別に何かある訳でもなかった。歩いてもすぐ町の外に出てしまうので、本当に小さい町である。
そうやって、時間も来たことだし、港へ下り坂を一気に下りて、チャリ自転車を返しに行った。

チェック・インの時間はここでも30分前。かなりの客が集まって、小さい待合所が混雑してきた。”Guernsey行きの人”という声で立ち上がったのは、8人だけだった。他の人はJersey行きらしい。その8人の内4人は家族連れ、私を含めて残りの4人は朝の老夫婦以外の4人だった。この8人のためにまた船が走る訳だ。高速艇なので、最初の頃は波に当たるたびにひどく揺れていたが、その内穏やかになったのか揺れなくなった。海だけの景色になったので、疲れて眠ってしまった。気が付いたらGuernsey島に着いていた。船を降りると係が途中まで出口の方へ案内してくれた。チャリ持ち込みの彼女が先頭だったが、ある所で立ち止まった。その先には別の船の入口しかなかったのである。皆笑い出したが、1人の男性が建物のドアをこじ開けて、入っていった。自動ドアの筈が開かなかったのである。その先はロビー、正しい出口だった。街へ向かっていると、先の彼女がチャリに乗って”bye!”と声を掛けて通り過ぎた。機嫌が直ったようである。

お天気は曇りのち晴れ、程良い暑さだった。

2006.07.05 Wednesday

旅行記8日目:Sark島へ日帰り

2泊延ばした内の1日をまた、別の島へ行くことにした。近いから最初にHerm島に行ったのだが、ガイドブックの写真を見た時、Sark島にも行ってみたいと思ったのだ。おそらくChannel諸島には再訪しないだろうから、この際行っておこうと考えた。

朝6時頃目覚めた時はかなり雨雨が降っていた。8時出発の船船は3ポンド安くなるので、それに乗ることも考えたが、その頃にも雨は小降りになっていたが続いていた。雨でも船は出るが、こちらの気が重くなったのである。8時半を過ぎた頃には雨が上がったので、9:45発の平常料金の便に乗ることにした。
夕方の帰りは時間を指定しないといけない。当然一日Sark島で過ごそうと考えているので遅い6時の便を予約した。港で船を待っていると、2日前に会ったドイツ人のご夫婦にまた会った。似たような行動らしい。この後Jersey島にも行くらしい。

乗船時間は55分。港から中心の村まで10分くらい、坂を登る。村の入口では馬馬車が観光客目当てに数台待ちかまえていた。名物でもあるらしい。サイクリングも盛んである。島では車車は1台もない。荷物運搬にはトラクターが使われている。観光客は馬車に乗るか、チャリに乗るか、歩くしかないのである。私は敢えて歩いた。ちょっとハードだったが。

La Coupee'先ず向かったのはLittle Sarkと呼ばれる島の南側。SarkとLittle Sarkは地続きであるが、そのままでは通行できるような地形ではなかった。そこで崖の上の尾根に道を造っている。一見、万里の長城かと思わせる。これが結構観光名物になり、写真を見るとつい行きたくなったのだ。前後が坂になっている道で、チャリだったら飛ばしそう…と思っていると、自転車の乗車は禁止されていた。
ここからの眺めはよいはずだが、朝の雨でもやがかかっていて、遠くの海は霞んでいた。崖の下ははっきり見えていた。少々残念である。

old mineLittle Sarkには鉱山跡があるらしい。ついでにどんなものかと見ようと思った。道が行き止まりになっていたが、その先に2人の女性がパスを入って行ったのが分かった。後に続いたが、途中で道が分かれている。適当に進むと、崖の上で行き止まり。景色だけ眺めて戻る途中、もう1つの分かれ道を入った。こちらも行き止まりだったが、そこに小さいドルメンがあった。儲けた気分。本道らしきパスを進むと、どんどん下へ下っていく。鉱山はない。そして先の女性達が休憩している所に行き当たった。その先は、緊急避難用と思われる船着き場になっていた。殆ど崖である。仕方なく休憩、昼食にしてまた登って戻った。パスを出る頃に、鉱山跡と思われる円柱形の塔を見つけた。道路に出て、水溜まりのあった柵の入口がそのパスだった。近くまで行ってみているともう1つ塔があり、更に下の方に形が違う塔がもう1つ見つかった。全部で3つあるとあったので、正解である。下の塔に近づこうとしたけど、無理だった。そこまで崖の上のパスを景色を眺めながら回った。

Sark島西海岸中心の村まで戻り、今度は西側の海岸へ向かった。この島は村を中心に南北東西に道が分かれている。Herm島のように、島を一周する道はない。
目印は何かの記念碑。途中に、Duck Pondがあるが、本当に鴨の一群がいた。ひな鳥もいた。皆通りがかりの人が覗き込んでいた。結構分かり易かった。先の岬の上まで行って、休憩した。西側にはもう1つ小さな島があり、その頂上に十字架らしき物が立っていた。この時気が付いたのだが、いつの間にか青空になっていた。
また、すぐ北側の小さな入江は砂浜になっていて、沖にはレジャー・ボートが係留されていた。Channel諸島はどこもマリン・レジャーが盛んなようだ。お金持ちの島と思ってしまう。

Sark島北海岸そして、余り時間はなかったが、取り敢えず島の北に向かってみた。左側に広大な庭園(有料)があるらしいが、見る余裕はない。木立の中の道を進むと、道路は行き止まり。その先は開けていた。パスがあり、先端まで15分くらいかかるとあった。そこまでは行けそうもないが、先が見える程の所まで行って、戻った。かなり急ぎ足である。村に戻ってもまだ港まで時間がかかる。結局、着いた時は結構余裕があり、港の回りを彷徨いて、海水浴場(?)まで発見した。港は荷物運搬のトラクターで賑やかだった。下船している人の中にはスーパーの大きな袋を抱えた人もいた。買い出しに出かけていたらしい。島内にはホテルも何件かあるので泊まる人もいる。そんな人達と入れ違いに、船に乗ってGuernsey島に戻った。

お天気は雨のち曇り、のち晴れ。今回、お天気に関しては運が良いらしい。

(追伸)
St Peter Portに戻った後、現金お金が足りなくなるのでキャッシュ・カードで現金を引き出した。出てきたのは全てGuernsey札。後2日しかいないのにこんなに使えない、と思ったが、宿代の支払いで使えば何とかなる。この島では独自のお札が流通している。まだ1ポンド札もある。Jersey札もこの島でもらったのでChannel諸島内ではGuernsey札が使えるようだが。

2006.07.04 Tuesday

旅行記7日目:St Peter Port巡りと島の西南端の遺跡へ

St Peter Portにあるお城と博物館を見て回ることにした。いずれも10時開館なので、その前にちょっとした用事を済ませようとツーリスト・インフォメーションへ行った。この後のJersey島へのフェリーの時刻を調べるためである。Pooleで手に入れたCondor Ferry船のパンフにはGuernsey島-Jersey島の時刻表がなかったのである。おおよその時刻は見当が付いたもののはっきりしていなかった。しかし、ツーリスト・インフォメーションでも分からなかった。
そんな…と思いつつ、フェリー会社に聞けと言われ、ついでに予約もしたかったので港の端にあるオフィスまで行くことにした。予約オフィスがこれまた分かりにくかったが、ロビーにいたおじさん(船会社の関係者)が入口まで連れて行ってくれた。中に入るとちゃんとGuernsey島発着の時刻表が置いてあった。この船会社は閉鎖的なのかと思ってしまう。時刻表もネットにはなかったので、どの日に移動すればいいか計画も立てられなかったのである。おまけに予約システムは当日でなく翌日の日付を入れないと出てこないというテクニックが必要だった。
時刻表に丸をして、カウンターに持っていった。最初は4泊で、翌日に移動しようと思ったのだが、Guernsey島で他にも行きたい所が出てきたので2日延ばして6泊にし、3日後の予約を取った。2日後にしなかったのは移動が夜になって、到着後の宿が取りにくいからである。この後、一旦宿に戻って、もう2泊を頼んだ。空いていた。

Guernsey博物館この用事が済んだ頃、丁度10時を過ぎた。そして先ず、高台にあるGuernsey博物館へ向かった。展示はFrederick Corbin Lukisという人の関連が多かった。この人は島の遺跡を発掘調査した人で、2日前に見たドルメンは彼の業績の跡だった。何だか身近に感じてしまった。他に島の歴史なども展示してあった。また、Franceの詩人Victor Hugoがかなりに渡って滞在したので、関連の展示物も少しあったが、Victor Hugo館というのが別にあるので、興味がある人はそちらに行った方が色々見ることが出来るようだ。入った時、子供達への説明会が行われていたが、大人も聞けるようだった。私はついていけないので、そのまま勝手に見学していた。
博物館の下にはちょっとした公園があり、そこからの眺めは良いとあった。しかし、眺めは一方向だけなので期待しない方がよい。前日訪れたHerm島が見えていたが、もやで霞んでいた。

次に少し坂を下った所にGuernsey Tapestryという展示館(複合館の一部)がある。ちょっと変わっているようなので行ってみた。10枚の大きなタペストリーにGuernsey島の先史時代からの歴史を織り込んでいる物。これをオーディオ・ガイドを聞きながら見ていく(数カ国語あったが、私は英語。日本語がある訳ない)。たった一部屋だが、充実していた。中央にはソファがあるので、座って説明を聞きながら見ることが出来るので足が疲れない。売店にはタペストリーの作り方を展示してあった(触るのもOK)。お土産にタペストリー・キットもあったが、大変なので買わなかった。

Castle Cornetそして、港にあるCornet城に向かった。ゆっくり見たら2時間かかると思ったが、急いで見て回り1時間半くらいで済ませた。その後に行きたくなった所があったのだ。13世紀末に最初に建てられ、その後増築が繰り返された。そして20世には島の歴史にあちこち残っている遺跡と同様、第2次大戦中ドイツ軍がこの城にも砲台を築いた。この中に海洋博物館もあったが、さっと覗いただけだった。Scotlandでさんざんこの手の展示館を見てきたので、特に目を引くような物がなかったからである。

その後街へ戻り、銀行へ行き、バス・スタンスへ。Pleinmontという南西の端にちょっとした遺跡が3つあるのを見に行くためである。説明文で最初は無視していたが、写真を見て何となく行きたくなったのである。バスは満員の状態で出発したが、空港辺りになると空席が目立つようになった。そして、降ろしてくれるように頼んだ所で止まってくれた。Fort Pezeries目指す遺跡まで海岸の道を進めばいいと思ったが、以降は(準)私有地で、その先は許可なしに車は通行できないと。歩きは良いはずだが、確信が持てない。そこで、近くの売店で確認すると、やはり歩きはOK。元気に歩き出し、最初の遺跡に到着した。

Fort Pezeriesという岬の上に建つ砦(廃墟)である。ナポレオン調と言うことだった。1680年に建てられ、やはり第2次大戦中もドイツ軍が使っていた。形が上から見ると星形をしているのが面白い。現在は中に弾薬庫となった小屋と外の壁だけが残っている状態である。

Fairy Ring次に、ここへ来たいと思わせたLa Table des Pionsという遺跡である。説明文によると地元では"Fairy Ring"と呼ばれているとのことだった。ガイドブックの写真を見て気になったのだ。ストーン・サークルの中に堀があって真ん中に嘗ては何かあったような感じだった。バイキング時代から19世紀まで偵察と海上からの防衛の間の休憩所として使われていたそうだ。そして先の砦からすぐの所に見つかった。小さかった。他に何もなかったが、取り敢えず気は済んだ。

Batterie Generaloberst Dollmannもう1つ先に遺跡があるらしい、ということで、更に先に進んだ。崖の上のパスの矢印に従って進めばいいものを、海側にあったパスに入った。このパスが、先の方で蕨、棘、アザミが生い茂る狭い所を通ることになった。そこを何とかして抜けたら、駐車場だった。横を見ると、通りやすい立派なパスがあった。その後はちゃんとしたパスで、崖の上を海を眺めながら歩いた。しかし、目的の遺跡がなかなか見つからない。一時は気が付かずに通り過ぎたかと思ったが、また駐車場に出た時に説明板と小さな家の土台が見えた。説明板を見ると、目的の遺跡でなかった。その先に砲台跡が見えたのでそこまで行って諦めようと思ったら、その間に目的の遺跡があった。その遺跡とは大砲である。現在、砲台には大砲は残されていないが、ここは敢えて残してある。砲台でなく、堀の中に据えられた砲身が長いものである。地下壕の説明もあった。危険なので入らないように柵があった。

3つ目を見つけた所で先に進むか引き返すか考えたが、その先にバス停があるか不明だったので引き返した。例の蕨・棘・薊のパスは勿論避けた。広いパスをゆくと、分かれ道がいくつかあった。適当に曲がっていたら、最初の2つの遺跡を通らずに、近道になった。そのパスは、犬と散歩をしている人が多く、犬犬同士トラブルを起こしていた(どうなったかは不明)。バス停に着いた時、次のバスの時間を確かめようとしたら、すぐにバスバスが来た。結構、効率よく回ったつもりである。

お天気は曇りのち晴れ、夕方に慌てて日焼け止めを塗った。

2006.07.03 Monday

旅行記6日目:Herm島への日帰り

諸島なので近辺にもいくつか島があり、その中の1つに行ってみた。Guernsey島の東側にあり、一番近く、St Peter Portの目の前に見えているHerm島を選んだ。船船の運行本数や時間も申し分なかった。乗船時間は20分である。トレキングをする人が多いようで、団体もいた。島の全体が分からないので、上陸後、港近くのお店で地図を見つけ順路を考えた。島を一周することが出来るパスがあった。

Roberts Cross' Dolmen先ず、北へ向かった。木々を抜けると広場になる。目印にお墓があった。そして東西の真ん中当たりまでパスが続く。ここにドルメンがあった。案内はなかったが、明らかだった(後に地図を見ていたら、このドルメンの説明があった)。そこからまた海岸へ向かう人が多かったが、私は近くの小高くなった所まで登ってみた(○○と煙は高い所が好き…)。途中に小さな遺跡らしき物があったがよく分からない。ここからの眺めは良かった。そして北西の端のOyster Pointと呼ばれる所で休憩した。岩の上に座っていると、海岸を歩いてきた夫婦と挨拶を交わした。奥さんが私に非常に興味があると出身を聞かれた。”大阪の近く”と言うと、”岸和田に友達がいる”と言うことだった。”以前住んでいた”と話すと、英語の先生をしているとかで名前を言われたが…ドイツから来られて、やはりSt Peter Portに宿泊されているとのことだった。

Herm島北海岸その後、このご夫婦と前後しながら、Shell Beachと呼ばれる北海岸の白い砂浜を東へ向かって歩いた。東の端に着いた所でご夫婦は休憩されたが、私はそのまま南へ向かって更に砂浜を進んだ。

東側はしばらくは砂浜だが、その後はずっと崖の上を歩くことになる。パスはしっかり作ってあり、先ず迷うことはない。日差しも強くなってきて、暑くなり、砂浜の端にあったカフェ(と言っても小屋に近い)で思わずアイスクリームを買ってしまった。
Herm島東海岸崖の上のパスを歩くと更に暑くなったので、Tシャツを脱いでランニングになった。それほど暑くなってきたのである。この時日焼け止めを塗るのを忘れて、肩を赤くしてしまった(数日後、皮がむけた)。途中には映画に出てくるような崖と崖の間にちょっとした砂浜があった。沖にはレジャー・ボートが係留されていた。ここにもカフェがあり、商売根性はたくましいようだ。この場所には、島の真ん中を通って出ることが出来るパスもある。ここを過ぎて暫くすると、私に港への近道を知らないか聞いてきたご夫婦もいた。地図を広げ、カフェの所まで行ったらその道があると説明し、有り難がられた。道が上下しており、結構きつい所もあるので、島を一回りする人は少ないようだ。

Herm島南端島の南にはHerm島より少し大きいSark島が見えている。こちらにも日帰りで行くことが出来る。そしてやっと南端に着いた。先客(カップル)がいたので、少し離れた岩の間に腰掛けて休憩した。ここでお昼にした。そうしている内、カップルの男性が、岩の上や間に(カモメの)ひな鳥を見つけ、色々な角度から写真を撮り始めた。ここは本当に自然一杯だった。

体も休まったので、今度は島の西側を北へ向かった。程なく、出発した港へ着いた。途中、小さい門を見つけた。ここにも船着き場があるようだが、何故小さい島に2つあるのかこの時は不思議だった。港までの間は他にとりたてて面白そうな景色もなかった。

一周は休憩も含めて4時間半くらいで回っている。港近くのお店で、記念になる物を物色し、今度は島の中央にあるManor Villageへ行ってみた。かなり急で長い坂を上るとあった。ここにはお城もある。ところが、チャペル以外はPrivateエリアとなっていて、中央の広場とチャペルの庭を見学して終わりになった。Villageの裏側にも回ってみたが見る所はなかった。ただ、Guernsey島との間の海は良く見えた。

Herm島西海岸この頃丁度帰り船の出発時間だったが、その後の便を考えていたので、急ぎはしなかった。だが、その時刻に港には船は見えなかった。?と思いつつ、港まで戻った時、ある案内に気付いた。その時刻から以降は、南に10分程歩いた船着き場、あの門のあった所から出発するとある。これを読んだ時、下船時に放送があった注意事項を思い出し、その意味がやっと分かった。港は午後2時くらいから干潮で船を着けることが出来ないのである。ギリギリでなくて良かった。10分歩いても、まだ乗ろうと思っている時間まで十分にあるので、最初に歩いた北への道の下に広がっている浜辺を歩いた。干潮で、沖にあった岩だらけの小島へ道が出来ていた。潮が満ちていた時は道があることさえ分からなかった。ここを渡って小島へ渡ってみたが、陣取っているカモメに騒がれて早々に引き返してきた。

船着き場に着いた頃からポツポツと雨が降り出したので、帰りは船室にこもって、友達に手紙を書いていた。Herm島は結構気に入って戻ってきた。

お天気は晴れ、夕方小雨。また、十分日焼けした。

2006.07.02 Sunday

旅行記5日目:Guernsey島、先史時代の遺跡を求めて

地図やガイドを見ていると、この島にも先史時代の遺跡があることが分かった。地図は無料の絵地図しか手に入らなかったため、詳しい位置が分かりにくかった。よく買っている詳細地図をPooleで見かけたものの、島内で手に入ると思い買わなかったら、ツーリスト・インフォメーションにさえなかったのだ。この絵地図にはバスバスの路線が書いてあったのであらかじめ時刻表を確かめることが出来た。行きたい所は日曜日でも十分な本数が動いていた。

バスは1回50ペンス、この時のレートで言うと120円くらいになる。10回の回数カードは3.50ポンド。7回乗れば見合う額、最低8回乗ればお得なのだが、そんな回数乗ることはなかった。が、どういう物か見たかったので、乗車時に運転手に聞いてみた。時刻表には運転手からも買えるとあったが、キオスクでと言われ、見合わない回数なので50ペンス払って、行き先を告げてそのまま乗った。私はこの金額は安い方だと思うのだが、ドイツ人と話した時、ドイツの方が安いと言っていた。日本は何でも高いから…

小さなドルメン島の北側に2つの遺跡があるとあった。どちらもゴルフゴルフコースの間にあるとなっていた。そこで最初の所に行ってみると、ゴルフのグリーンと茂みの間を彷徨いて分からなくなってしまった。通りかかったゴルファーが教えてくれ、その方向に行ってみると小さいドルメンがあった。良かった…と思って写真を撮りも下にぐってみたりしていた。実はこれが全く違うもので、教えてくれたおじさんは海辺の側にあるようなことを言っていた。それをすっかり抜かし、海辺に出るまでにこのドルメンを見つけたものだから、勘違いしてしまっていた(ネットで見ていた時に気付いた)。別のゴルファーに不信がられて、慌てて立ち去った。ネットでゴルフ場の航空写真を見たら、中を通らずに海に続く道を行った方が良かったようだ。近くまで行ったのに…悔しい!

Les Vardes次の遺跡は5mはある記念碑の辺りだった。この記念碑が長い石(7mはあった)を建てたようなものなので、それ?と思いつつ近づいて眺めていると"2000"という数字が刻み込まれていた。全く違うものだが、すぐ側に目的の塚を発見。今度は正しいもので、入口にも説明書きがあった。石室も大きく、大人でも十分に立てるものであった。入口は低くなっていることを忘れて、出る時に頭を打ってしまったびっくり。満足〜嬉しいグッド! ついでに石室の上まで登っていた。ここから先は自己責任で注意とあった。天井石が空いている所があって足を滑らせる危険があったのだ。

この2つを見た後海岸を歩いた。このあたりには円塔のタワー(合計8個)があった。そして岬ごとに砦もあった(どちらも入場不可)。これらの建物は第2次対戦時にドイツ軍に占領されていた時の名残らしい。これも遺跡の印が付いていたが、3つ目の遺跡を探していた時、その説明をよく読むとこのタワーのことだった。興味が湧かなかったので、旗が立っているタワーを撮影して終わった(もっとも、高い所から景色を写した際に沢山写っていると思うが)。

Le Trépied Tomb次に西海岸の南に向かった。こちらにもバス停2つ位をおいて遺跡があるとあった。手前の方で降ろしてもらった。歩道もない2車線ギリギリの幅の道路を歩くが、それらしい案内がない。登りのパスらしき所に"Natural Trust"の立て札が見えたので上がってみると、当たりだった。親子4人連れが先着していて、子供子供が石室の中に潜り込んでいる。大人は屈み込まないと入ることが出来ない高さであった。細長く石が並べられて、天井石が残っている状態。その上には先程みたいに盛り土は被さっていないものであった。先の方にパスがあったので、そちらに降りていくと、その入口に案内があった。最初の入口を見逃しても、こちらから見つけることが出来た訳だ。ちなみに、他の訪問者は皆案内がある方から上がってきていた(裏から入るのは私くらいか…)。

Le Creux es Faies次の遺跡まで、海岸を歩き、一通を逆に入っていった(歩きは逆でもOK)。駐車場に出た所でこの辺りと振り向くと塚らしきものがあった。回り込むと入口があった。こちらは更に大きい石室で、入口は(私の身長で)頭を打つこともない大きさだった。中でデジカメで写真を撮っていたら、突然何も反応しなくなった。画像は表示されているが、どのボタンを押しても全く反応がない。電源も切れないのである。慌てて外へ出て、暫くいじっていると電源が切れた。再度電源を入れたら正常に動いた。もう一度中に入って写すとOKだった。これって、祟りおばけ!?

他にも遺跡はあるが、バスルートの都合上、この4つ(実際は3つ)で見終わることにした。最終バスまでに時間があったので、最後の遺跡の先にビューポイントがあり、大西洋を眺めながらしばらく休憩をしていた。その先には小島があり、干潮の時のみ道が出来るが、干潮時にもかかわらず、余り道が出きっていなかった。もっと干上がらないと道が出来ないらしい。

バスは島をほぼ一周するルートであり、時計回りと逆回りがある。私は逆回りで進み、遺跡を見て回るついでに島を一周してきた。
参考までに遺跡の写真と説明があるサイトを見つけたので挙げておく。ちなみに私が見逃した悲しいのは一番下にある写真のもの。

Guernsey Ancient Monuments

お天気は晴れ晴れ、湿気は少ないが日本の夏を思わせる暑さだ。泳ぎ水泳たいくらい。

2006.07.01 Saturday

旅行記4日目:Channel諸島Guernsey島へ

朝は、タクシーでフェリーターミナルまで。船会社はCondor Ferryである。宿泊施設のことを聞きたかったので早めに行った。前日ツーリスト・インフォメーションでここで予約してもらえると聞いたからだ。組織が違うのかPooleでは無理と言われた。でも、やはり出来ないと。到着ロビーに宿の全リストがあるとは教えてくれた。Guernsey島のツーリスト・インフォメーションのオープン時間は不明とのこと。宿無しになったらどうしようかという不安を抱えたまま向かうことになる。

チェック・インまで時間があるので、トランクを預けた。カフェでやってくれるが、保管場所がコンテナの中。入った途端暑い。おばさんが”チョコレートを入れてたら大変なことになる”と。暫く街へ戻って過ごした。

チェック・インで座席の番号を貰い、暫く待って乗船。荷物は自分で運搬係に持っていく。座席は窓側の2席だったが、自分の席が窓側なのか通路側なのか確かめなかった。どちらも空いていたので窓側に座って、隣にカメラを置いていたら、若い男の子(Englandのサポーターらしい)が来て"Hi, ya"と声を掛けてきた。彼は隣の席だが、どちらの席かは問題にしてないらしい。車での乗船らしい。だが、景色が楽しめるのはPoole港を進んでいる時だけだった。後は海しかない。その内、眠ってしまった。

気が付くとGuernsey島に到着していた。デッキに出て港を眺めていたが、周りの人は降りる気配がない。そこでハタと気付いた。この人達はJersey島へ行くのだと。別に慌てる必要がない時間だったので、ゆっくり降りた。

到着ロビーには宿の簡単なリストがある。これで電話をしろという訳だが、島の状況が良く分かっていないので無理だった。取り敢えずツーリスト・インフォメーションへ向かった。そして、まだ開いていた! 夕方6時までやっているらしい。着いたのは5時30分過ぎだった。4泊の予定。場所は少々高くても港に近い方にした。安い方を当たってもらったがダメ。2つ目は2泊ずつ部屋は変わるが、空いていると。土曜日からの宿泊でそれ以上の贅沢は言えないのでOKした。大した距離ではなかったが、途中からボコボコの石畳でトランクを引きにくくなった。車通行量は結構あるが、車道に降りて引いていった。

St Peter PortGuernsey島の中心はSt Peter Port。南東海岸に細長く面した街である。車の通行量はかなり多い。それまで回ってきたScotlandの島のイメージとは全く違い、ノンビリとした雰囲気は全くない。はっきり言って、幻滅したのである。

投宿後、港近くを散策した。ついでに夜10時まで、日曜日も開いているスーパーを見つけた。食糧の確保が出来た訳である。港は広く、殆どがヨット船やクルーザーが係留されているマリーナである。これでもか、としつこいくらいある。

Lighthouse港の端に大きいお城があった。埠頭の途中にくっついている。入口で見学できることと時間を確認した。その先の埠頭に灯台があったのでついでにそこまで行ってみた。半分だけ白く塗られている。何で?

宿に戻って、地図とバスの時刻表を見ながら、滞在中のスケジュールを考えた。バスは日曜日でも本数が多い。何という島だ!

お天気は晴れ、でも遠くの海は霞んで見える。
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